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2020.12.20
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関西サーフカルチャー・アーカイブ Vol.1

なぜサーフポイントのない大阪にサーフカルチャーが根付いたのか。なぜサーフショップが100店以上もあったのか。関西のサーフスポット・和歌山の磯ノ浦に最初に入ったのは誰なのか。などなど関西サーフカルチャーの歴史をあらためて掘り起こして残して伝えていこうと始まった番組の第一回。

ゲストに迎えたのは「ビッグウェーバー」と呼ばれ1984年の映画「アジアンパラダイス」にも出演した関西のレジェンドサーファー木梨邦則。そして、木梨が70年代なかばから始めたサーフィンでプロを目指すきっかけとなったと言う、関西初のプロサーファー 祝 “ヘンリー” 春樹も電話で出演。この第一回では、1960年代後半から70年代の関西サーフカルチャー黎明期を紐解く。

■祝 “ヘンリー” 春樹 インタビュー
1975年8月10日プロになったヘンリーが初めて波乗りしたのは磯ノ浦で20歳21歳の頃で、プロサーファーとして、またタレントとして活躍。
---ヘンリー曰く、
大阪のサーファーはファッショナブル。カリフォルニアやハワイの流行をいちはやく取り入れながら、関西のファッションやミュージックシーンを引っ張りムーブメントを起こした。大阪のサーフィンをジェリーと広めていくなかで、協力してくれた関東のサーファー大野薫の功績も大きい。

ヘンリーに「なぜサーフィンで大阪を盛り上げようとしたのか」と尋ねると、
---自分は大阪の人間で、そして湘南・千葉に負けたくなかったからということと、太陽が登ってから夕方まで魚のように海に入って自然と対話する、そんなサーフィンの楽しさを若い人にもっと知ってもらいたかった。また、関東に負けないサーファーも生まれて欲しかった。

ヘンリー、木梨、マーキー 、全員グーフィーの対談となった。
「ザ・サーファーズ・ジャーナル 日本版」にも関西サーフカルチャー黎明期のヘンリーの話が掲載されているのでそちらも是非。


その他、番組内で出た話のまとめ。

■関西最初の波乗り
浅田”ジェリー”章、祝”ヘンリー”春樹、八尾義宣が第一世代。続いて、塩谷正紀、北村滋郎、サーフアンリミテッド荻野添英、千葉公平、青山弘一、瀬川嘉明。彼らが60年代後半に磯ノ浦、伊勢でサーフィンをしたのが始まりとされる。1968、9年頃に木下大サーカスの外国人スタッフが磯ノ浦で波乗りしたのを八尾、ヘンリーらが見たのがきっかけではないか。

■関西のサーフカルチャーの特徴
1969年のウッドストックに代表されるヒッピーが新しい時代を開拓するという精神性と、サーフポイントを開拓しながら旅をする”サーフィン”の精神性が重なった時代。
アメリカ・カリフォルニアに足を運びダイレクトにカルチャーを持ち帰ったのは関東よりも大阪の人が多かったのではないか。そこからアメリカ村が誕生し「ロン毛・ネルシャツ・古着のGパン・ビーサン」というファッションが関西のトレンドに。
また、サーファーに好まれた音楽もミナミなどのディスコに広まっていったため、まず「ミナミで遊んでから海に向かう」というスタイルが定着していった。
また、大阪にはサーフポイントが無く、和歌山、伊勢、四国、日本海まで時間をかけて行く必要があり、海まで行って車中泊できるように車はワンボックスが主流となった。ちなみに関東は乗用車で近くの海まで行き、板は現地に置いてあるのが普通。

■関西初のサーフショップ
茅ヶ崎の西野光夫が1964年に作ったETサーフボードを、親戚の谷岡安兵衛が大阪に持ち込み、これが関西初のサーフショップとなる。


以上「関西サーフカルチャー・アーカイブ Vol.1」でした。「Vol.2」も乞うご期待!


【オンエア曲リスト】
Zero To Sixty In Five / Pablo Cruise
Hotel California / Eagles
Down On The Corner / Creedence Clearwater Revival
Long May You Learn / Neil Young

  • DJ:マーキー
  • ゲスト:木梨邦則/祝 “ヘンリー” 春樹

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