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11時40分のフェリーまで少し時間があったので、
鹿折(ししおり)の復幸マルシェへ。
被害の大きかった鹿折の町。ここから再スタートしたい、と立ち上げられました。
昆布や麹などの食料品とバンダナを購入。
まだはじまったばかりで、
こちらのサイトで、物資の寄付を募っていました。
http://www.shishiori-marche.jp/
私がお邪魔した日には、
神奈川県から高校生がボランティアで訪れ、お店のお手伝いを。
座布団や衣類、毛布などの物資も届けたそうです。(サイトで拝見)
手ぶらで行ってしまった私達。。ごめんなさい。 |
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桟橋が落ちたままになっている気仙沼観光桟橋(エースポート)から
フェリーに乗って大島に渡ります。
11時40分発。大島までは25分。
しかし、先ほどまで青空が広がっていたのに、
11時前からいきなり吹雪に。。フェリーに乗っている時は、
全く前が見えない程にまっ白に。。
天気予報では確かに午前中曇りで、12時からは晴れマーク。
なので12時には晴れる!
とおもったら、大島に到着する時には青空に。すごい。。天気予報。
車で迎えにきてくださったのは、
昨夜であった千葉さん。
(まだお写真を送って許可を取っていないので、今は載せないでおきますね)
この方がとてもやさしく、悪い方で。。
若い頃はかなりやんちゃしていたようです。
そんなやんちゃ話を聞きながら、大笑いしながら、
島を一周してくださいました。 |
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まずはリフトで上がる予定だった亀山へ。
ところが、リフトは震災で壊れてしまったそうです。
ニュースなどの映像でご覧になった方も多いかとおもいますが、
気仙沼は広い範囲で火事が起こり、リフトも焼け跡が残っていました。
龍前崎で撮った写真の一枚に、何本もの松の木の根元が
真っ黒く焦げている写真があったのですが、
それも山火事によるもの。
(その写真。。消してしまったみたい。。)
ということで 亀山リフトは使えず、
(乗れてもスキー場のようなリフトなので、寒くて無理!!)
千葉さんの車のお陰で見晴し台まで上がることができました。
亀山からは気仙沼が一望できます。
畠山さんの声を思い出し(詩の中に出てきます)、
見下ろす気仙沼。
あれが唐桑、そして高校が見えて…
海の美しさと穏やかさ。
そしてその海が あの日大きく動いて、さらった町。。
こうして上から見ると、どれだけ広い範囲で町が消えてしまったのか、
よくわかります。 |
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島の最南端にある岬。
波の飛沫が岩に当たると、
龍が舞い上がるようにみえるということで、
ついたそうです。
すばらしい光景でした。
なんて美しい海! |
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乙姫窟と呼ばれる窟へ。
光の加減で、観音様のお姿のように見える…
というとても神秘的な場所。
乙姫様が流れ着いたという伝説があるそうです。
龍前崎(たつまえざき)には
浦島太郎にまつわる地名が残っているのです。
島を案内してくださった千葉さんの後ろ姿も。。 |
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2012-02-17
2日目 大島〜気仙沼ちゃんの宿
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http://www.k-macs.ne.jp/~kuriko/
萩本欽一さんでおなじみになった「気仙沼ちゃん」のお宿にも
連れて行ってくださいました。
少し高台にあるものの、やはり一階の大広間やお風呂などが被害にあい、
宿の手前にあるある建物は全壊でした。
中に呼ばれて、厨房でおばあさまの碾いて下さった豆で
美味しいコーヒーを入れてくださいました。
震災の日のこと、それからのことを雑談するように聞かせてくださいました。
「生きていればどうにかなる。」と千葉さんともに笑いながら
繰り返す言葉は力強く、
それでいて、失った命の大きさも感じました。
みなさん、ご親戚、ご家族を亡くされているのです。
明るい声で突然の訪問者を迎えてくださって。
「なんでもっと早く来なかったの?
ボランティアでも観光でもいい。どっちだっていいのよ。
もっとはやくこなきゃ〜」
本当に。。
「想像していたのと違うでしょ?全然違うでしょ?」
色んな意味でちがいました。
2月から改修工事をおこなうはずだったのに、
建築会社の方がまだこないそうで。。
「人手が足りないのよ」
と工事の遅れに嘆くも怒るもなく、
のんびり待つしかない〜と仰っていました。
秋頃にはリニューアルオープンを。。と考えているそうで、
厨房では再営業に向けて日々の努力を。。
「アイナメを勉強しようと思って!」
ピンク色に輝くアイナメの調理に取りかかっていました。
また来ます。
そんなありきたりの言葉を残し、
心から会えたことを感謝して、千葉さんのお宅へ。。 |
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千葉さんのお宅で、すっかりお昼ご飯をご馳走になり。。
フカヒレのスープに炊き込みご飯!
そしてマイタケと牛肉のいためもの、
小柱の煮付けとほうれん草の和え物。
おいしくって、山盛り二杯の炊き込みご飯をいただいてしましました。
遠慮なく、もうしわけございません。。
そうして、フェリーの時間に合わせてまた車で送ってくださったのでした。
途中、漁師さんに会って、車を止めてなにやらお話。
島中の人を知っているので、
漁師さんも笑顔笑顔。
そう言えば車ですれ違うおばちゃんたちも、皆笑顔で手を振っていたなぁ。。
きがつけば、トラックの荷台で漁師さんが、わかめをめいっぱい袋に。。
そんなに結構ですよ〜〜と遠慮の声を何度も上げたけれど、
笑顔で跳ね返してくださって、
大きなビニール袋に、両手で持ってやっと持ち上げられる程の
ワカメをお土産に頂きました。
ホクホク
新幹線での「臭い」を気にするでしょ?
まったく磯臭さはないのです!
新鮮なものは、違うのですね!! |
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2012-02-17
2日目 気仙沼 大島とおわかれ
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船着き場にはお迎えの車と、お見送りの人、
そしてそのすぐ側に木屑の山。
身長の二倍程の山。
瓦礫の山や壊れた車の山、壊れた船達。
処分しなければいけないものも、
それ以上進められない制度の壁。
生活していなければわからない問題が、沢山あるでしょう。
それでも、観光にきた私達をとても気持ちよく受け入れて、
気仙沼の良い所を教えてくださった千葉さんをはじめとして、
出会えた皆様に感謝します。 |
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畠山美由紀さんのアルバム「わが美しき故郷よ」に誘われて、気仙沼に行きました。
東北に行こう!と思い立ってから、じゃぁ、どこに行く?と考えている時
このアルバムに会って、
子供の頃に一度仕事で行ったことがある…と思い出し、
行き先を決めたのでした。
まだ進まぬ被災地の光景、仮設住宅を見た上で言う言葉としては
不謹慎かもしれません。
でも、とても楽しい時間でした。
それが一泊ニ日を振り返って 出てくる言葉です。
美味しいもの、美しいものが溢れた、この町の力でしょう。
そして出会えた方々のお陰です。
もし、あのお店に行っていなかったら、
きっとその魅力を半分も知らずに帰ったでしょう。
やっぱり、感じること、自分の目で見て 耳で捉えて、
肌で受け取ることは、とても大きなことですね。
何もしないでただ見に行くことに
とても気が引けていたワタクシですが、
行くと、とても近くなりますね。
大切な町になりました。
まず、それで良いのだと。
その先に自分にできることを見つけられれば。
笑顔をもらって帰ってきちゃった。
楽しくって、あたたかい旅でした。 |
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