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2011-08-12
RISING SUNのSUNSET2
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方角を変えて楽しめる夕暮れ時。。 |
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あっつ〜〜〜〜〜〜!!
なんじゃこりゃ!と言いたくなる苦しさの中、
朝から渋谷の街へ仕事へ。
集まった全員が「朝からおかしいよね、この暑さ」と
苦しそうな顔。
いやほんとに。
そんな中収録をして、ほんの少々お買い物。
RISING SUN ROCK FESTIVALのためのお買い物。
と言っても、天気予報を見たら
どうやら長靴は必要なさそう。
Twitterで聞いた所、すでに現地にいる方が
「ひつようなし!」とお返事をくれました。世の中便利。
なので、買うものは特になし。
なのですが。
なんとなく、汗かいてもいいような安い、
涼しいタンクトップ♪とか
肌触りよいタオル♪とか
涼しげなワンピース♪とか
日よけにもなるストール♪とか。。。
必要ないだろ!もう持っているだろう!!と
言うものをつい見てしまう。
結局、
砂埃対策を考えてマスク、
日焼け止め、汚れても良いストールなどを購入。
後はあるものですませます。
あたりまえだい。
帰宅してはまじに選曲を送り、
荷物をまとめる。
なんといっても、
札幌→大阪→軽井沢
の長旅なので。。。
私の夏が一気に盛り上がり、一気に終わりそうです。。
いってきます〜〜♪ |
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仙台の夜は牛タンと麦飯ととろろをいただき、
翌朝は、復活したばかりというお寿司屋さんに寄ってから帰宅。
震災の影響で暫くお店を閉めていたそうです。
ちょっと前に再開の話を聞き、仙台の知り合いも大喜び。
噂に聞く駅のすぐ側の立ち食い寿司店へ。
(牛タンストリートの奥にあるのです)
おいしかった〜
まだお昼前なので、空いていました。
長いカウンターの前にはたっくさんのネタ。
目の前の「とろ炙り」にワクワクして、注文したら、
手前のお寿司が炙られた後のもの。
やわらか〜くてほんのり香ばしくて、舌の上でとろけます。
炙りものが多く頂けるのも嬉しいです。
が、海老やらなにやら美味しいものがいっぱいで。
もうだめだ。。というところまで食べても、
一人三千円いかない程度。。。
だがしかし、後でききましたが、ここでは
「シャコの爪」の軍艦巻きというのがあるそうです。
召し上がった方によると、うまい!
教えてあげれば良かった〜〜〜とツイッターでの
私の呟きをみて思ったそうです。
ならば、是非その場で。。。次はお願いします
またゆっくりお邪魔します。仙台、東北へ。
あぁ日記を書いていたらまた食べたくなった。。 |
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仙台にゆずのライブを見に行く。
震災のあと、東北のイベンターさんと、
仙台公演が決まったら絶対いくからね!と約束したのでした。
仙台駅前は聞いていた通り通常に見える。
でも、薬局のレジの横に放射能の積算量を計る
シートのようなものが置かれていた。
日常に見えても、確実に違う。
『そこまでひどく被災していない』
という思いが、辛さを深くすることもあるでしょう。
きっとそれぞれいろいろな想いを抱えているのだろうな。。
ゆずのライブは、大阪城ホールで拝見したときと同じ構成で、
まずは二人で弾き語り。途中バンドが入って、という
『最少で最大の力』でのライブ。
でもセットリストは違うのです。
オープニングの曲は個人的に大好きな一曲だった。
でもそれで始まるのは違うだろうなぁ。。と思っていたら、やはり、違った。
全体をみても、二人が最大限にみんなのことを想って考えた曲なのでしょう。
一曲ごとに涙がながれてしまったり、
大きな声で一緒に歌ったり。
他の会場とかわりはないけど、ライブが終わりに近づいた時、
『有難う〜!!』の声が高く高く、何度も上がったの。
何度も、沢山の有難う。
アンコールが終わっても帰らずに、明るい会場で手拍子と贈るうたを歌う皆。
その声に慌ててもどるゆずの二人。
ギターを抱えて、笑顔で予定にない二回目のアンコール。
歌いだしたのは、『雨と泪』
ここでこの曲かぁ。。と私に泪が滲んでしまった。。
会場は溢れる涙をタオルでぬぐうひとも
笑顔で嬉しそうに歌う光景がとても美しかったなぁ。。
そして、
バンドも呼んじゃう?
の一言に慌てて出てくるメンバー。
『また夢を描けますように!』と『夢の地図』を演奏して、
また沢山の有難うが響いたライブでした。
大きな笑顔を咲かせて帰る皆をみて、
嬉しそうなスタッフの顔も美しかったです。。
ほんの二時間で来られる仙台。
福島までもあとちょっと進めば、すぐ。
だけど、被災地では私達と全く違う生活をしている方々がいると思うと、胸が痛む。
すぐ近くなのに。
また来るね。
そう約束して、笑顔で別れたのでした。
仙台の夜に、感謝して眠るのでした。。
写真は仙台駅前で。
まっすぐに上がる飛行機雲。
夢に向けて。 |
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東北新幹線にて..
お手拭きは勿論のこと、
コーヒーやスリッパ(白いカバーに入ってます)もサービス。
いいね!
関西に行く時にもこれくらいしてくださると嬉しいのですが。
8月31日期限で配っているコーヒー券は、50円引きでした。
しかもお菓子でセットだと使えない。
もうすこ〜し。。。ねぇ? |
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で、ふと視線を感じた訳です。
覗かれていると。
かわいい〜顔を半分かくしてじっと見つめるペンギンくん。
前の席の女性のもので、ペットボトルのカバーです。
通りがかりにちらり見えたのですが、
おばあさまのような女性が、かぎ針でなにか編んでいらしたので、
手作りかもしれません。
素敵です。
可愛い訪問者。 |
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桑田さんとの夢のようなお祭り気分もさめやらぬうちに。。
東京に戻って今日は山下達郎さんのファンクラブ用のインタビュー。
ここのところ続けてこのファンクラブ用の
インタビューをさせていただいておりますが、
小難しい話ではなく、
「軽い質問」「ミーハーな質問」を望まれております。
というのも、マニアックな質問用には
他にすばらしきインタビュアーがいらっしゃるので、
ワタクシは軽やかな内容で、となっております。
(言ってみれば、ワタクシ、頼まれても難しい事は質問できませぬ。。)
毎回長い時間を作ってくださるのですが、それもオーバー。
質問の内容からはどんどん話がずれて、それが楽しい楽しい。
色んなお話が出てきます。
すでに達郎さんは沢山のメディアでインタビューを受けて、
このアルバムのお話をされているのですが、
それでも楽しそうにお喋りしてくださいます。
思えば、アーティストのプロモーション活動って、
本当に大変ですね。
何度も同じコトを聞かれたり、
同じコトを話さなければいけない。
これはご自身のためとはいえ、大変な労力でしょう。
だからこそ、私達は、少しでも違う角度で。。
と考える訳ですが、
みんな聞きたい事が一緒だったりするのも事実ですものね。
いよいよ今週アルバムが発売。
6年ぶりの「Ray of Hope」
関西にもまたこれからプロモーションでお越し下さいます。
802でのインタビューもお楽しみに |
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桑田佳祐さんが来阪!
大阪市内某所のどこかに現れる!!
というお知らせだけして、場所は登場40分前の、
この番組の冒頭で発表。
7時になって
「道頓堀の戎橋付近」と告げると、
みるみるまに4000人が集まったそうな。。
そうな、というのは、私はスタジオにいたから。
いきたかった。。
でも、この素敵な瞬間をこの番組で生中継できたこと、
出演していただいたこと、感謝します。
わかっているのに、思い切り普通に興奮してしまった
ワタクシです。。
すみません。
道頓堀川に、一艘の船が現れ、
「ハダカDE音頭〜祭りだ!! NAKED〜」が流れると、
浴衣ダンサーが踊り、その中にはなんと、ヒロ寺平さんが!!
そしてヒロさんが踊る!
桑田さんを呼び込む!
桑田さんとうじょ〜〜
そして「OSAKA LADY BLUES~大阪レディブルース」を歌う。
と、わかっていても、
船が現れ、「ハダカDE音頭」がかかると
レポートしてくださっている久保田さんに向かって
「ハダカ!ハダカde音頭!新曲だ!」と騒ぎ、
久保田さんが
「浴衣ダンサーズが。。あ、ヒロさんだ!」
という時にも
「桑田さんは?桑田さんは?」と煩い。。
すみません。
あとから録音をきいたら小さな声だったからよかったものの。。
あ、「ヒロさんだ!」の声に
「え〜。。。」とつぶやいたのは、演出ですからね。
そんな失礼な事、言いませんわよ。ワタクシは。
そしてもう1曲、アコギで「希望の轍」を唄って下さったときには、
嬉しくって、
みんなが一緒に歌っているのを想像すると、
感動しちゃって、
涙がじわ〜っと出てきてしまった。
スタッフによると、
川の両側に溢れる人が拍手をしたり、歓声をあげると、
船の上では 両サイドの上から降ってくるように
聴こえたのだそうです。
それはきっと、桑田さんも喜んでくださったのではないでしょうか?
9月10日11日には宮城で復興支援ライブを行う桑田さん。
どうぞ、お体にお気をつけて、
宮城に、東北に
今日のようにたっくさんの人を笑顔にしてください。
有り難うございました
番組でお目にかかれる事を楽しみにしています。 |
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2011-08-07
番組おわっても、プチ祭り〜〜♪
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番組終了後、ちいさなお誕生日会。
今日は杉サマのお誕生日〜〜♪
おめれと〜 |
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朝8時にNHKをつけて、
8時15分に黙祷。
66回目の原爆の日。
投下された原子爆弾によって、
多くの方が苦しみ、亡くなり、
66年経った今もその後遺症に苦しまれている方がいる。
この一年で亡くなられた被爆者は5785人。
原爆犠牲者は27万5230人となる。
「原発も原爆も、人が作り出し、多くの人を傷つけている」
海外メディアの記者が言っていた言葉。
福島第一原子力発電所の事故を受けて、
より核の恐ろしさを身近に感じる人が多いであろう今年。
原爆と原発は違う。
原爆は人を殺すために作られたもので、
原発はそのオソロシイモノを人のために使うことはできないか、
として考えられたもの。
でも、その根本の恐ろしさは変わらない。
何より、核は 未だ人間が把握できていないものである。
完全にコントロールできないものであれば、
使うことについて考えないと。
唯一の被爆国である日本が、
今また、原発による放射能の恐ろしさを感じている。
原爆の恐ろしさを忘れてはいけない。
伝え続けなければ。。
という意味を、今年初めて痛感した気がする。
広島の人も長崎の人も、66年間ずっと苦しんできた。
もう二度と繰り返してはいけない悲しみ。
ましてや、自分たちの手で二度と起こしてはならないこと。 |
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