|
|
2016-09-10
「中津川 THE SOLAR BUDOKAN !!」
|
|
|
中津川 THE SOLAR BUDOKANは、
当日の運営に関わる電力のすべてを太陽光発電でまかなう、
というクリーンでピースフルな野外フェスです。
会場には大きな太陽光パネルが設置されています。
それと同時に、事前に太陽光で蓄電した電気と、
その他、会場運営に関わる電力は「グリーン電力証書」
(自然エネルギーによって発電された電気を証書として取引する仕組み)
を通じて、太陽光発電を活用しています。
東日本大震災をきっかけに、佐藤タイジさんと、コンサート企画運営会社のワイズコネクションさんが、
太陽光エネルギーを使って、ロックコンサートはできないものだろうか、
と考え、まず、2012年12月に日本武道館で開催しました
その一回目は、最後までエネルギーがもつのか、どうなのかと、
ハラハラドキドキ。
12月の武道館の客席は、無駄なエネルギーは使わぬよう、客電も少なめに、
暖房もつけず、上着を着たままで見たような気がします。
その中で、ステージから放たれる、志を一つにしたパワーの美しさは格別で、
ラスト「ありったけの愛」を歌ったとき
佐藤タイジさんが 「やったぜ!」と両手を挙げたときの感動は忘れません。
そうして次は「野外フェスを!」と
声がかかり、
場所を中津川に移して開催されています。
太陽光パネルをつくっている会社が中津川にあると聞いたことが有りますが、
いろんな関係から 今の形が作られているのでしょう。
|
|
|
|
2016-09-10
「中津川 THE SOLAR BUDOKAN !!」
|
|
|
名古屋でスタッフと待ち合わせ、車で拾ってもらって、中津川へ。
会場に入る前に、お昼ご飯をいただこう!となって、
中津川市のおそば、うどんやさんへ。
お店の前に、手形が。。
『1969年日本初野外音楽フェス「日本フォークジャンボリー」が
行われた中津川市にて、2013ねンから太陽光発電による
クリーンな野外音楽フェス
「中津川THE SOLAR BUDOKAN」
が始まりました。』
佐藤タイジさんの手形を見つけられなかったのですが、
測道の縁石にいくつも展示されていました。
街をあげての、音楽フェスです。
日本フォークジャンボリーは1969年から1971年にかけて三回開催されました。
ウッドストックより少し先に開催されているのですね。
日本初の野外フェスティバル、今の野外コンサートの先駆けです。
それ以来、中津川では音楽フェスが開催されていなかったそうです。 |
|
|
|
|
|
「猫のおもちゃは、身近なものに限ります。
なんて偉そうに記しましたが、当たる時と、全く見向きもしないときと、
極端ですが。
最近のスミレさんの流行は、薄紙。
運動会のときなどに「花」を作った、あのラッピングでも使う薄紙です。
走って突っ込んで、紙に埋もれて、ゴロゴロして、
下に隠れたおもちゃを探して捕まえて、はしゃいで…
満足して、じーっとしているなぁ~と思ったら。
睡魔に襲われる。。。っという、パターン。
夏の間に運動しなくて、スミレさんも
ふとったからね~~。頑張って動きなさい |
|
|
|
2016-09-07
「Congratulation !!!」
|
|
|
とっても素敵なお式と披露宴でした
合う人を笑顔にする花嫁の笑顔とセンス。
丁寧な仕事と、人への接し方に、その魅力がわかる新郎。
出会うべくして出会った二人に、心からおめでとう! |
|
|
|
2016-09-07
「Congratulation !!!」
|
|
|
それぞれの始まり、
お二人の出会い…
様々なポイントに、素晴らしきご縁を感じます。
笑顔溢れる日々も、
悲しみに出会ってしまうときも、
しっかりと手を繋いで、二人で歩みを進めて下さい。
また一緒に呑みに行こうね~
|
|
|
|
2016-09-07
「Congratulation !!!」
|
|
|
帰りにいただいたお花 |
|
|
|
|
|
昨日の新幹線は、お漬け物寿司。
購入チャンスがあれば、いつでも |
|
|
|
2016-09-05
「小坂忠さん50周年ライブ」
|
|
|
新幹線で爆睡して、夜は東京で、小坂忠さん50周年記念公演へ。
(@渋谷区文化総合センター大和田さくらホール)
1966年に「ザ・フローラル」でデビューしてから50年。そのお祝いのステージです。
この日、ここに居られたことを感謝します。
本当に素晴らしいステージでした。
音楽監督はダージリンのお二人(Dr.kyOn&佐橋佳幸)
dr:林立夫、g:鈴木茂 Bass:小原礼 スチールギター:駒沢裕城、
二部に登場したブラス山本拓夫、西村浩二、西海孝、YASSY、MONKY( from BLACK BOTTOM BRASS BAND)
をバックに、
Asiah, 尾崎亜美、金子マリ、佐野元春、曽我部恵一、中納良恵、真城めぐみ、
松たか子、矢野顕子、吉田美奈子、というゲストボーカリスト。
休憩をはさんで二部構成で、
一部はバンドのメンバーとともにカジュアルなスタイルで登場し、
早々に「初めて会ったとき、彼はまだ高校生だった」と鈴木茂さんを招き入れ、
鈴木茂さんも勿論、ティンパンアレーのメンバーが参加している名盤『HORO』をリリースしたのは1975年。
その年、鈴木茂さんも「これまた名盤『BAND WAON』をリリース。
「一緒にライブツアーをまわったんだよね」と話しながら、(ティンパンアレーと小坂忠での全国ツアー)
「ファースト&ラストコンサート」に思いを馳せながらの一部となりました。
「このツアーのとき、美奈子こわかった」と笑いながら紹介したのは吉田美奈子さん。
「ちがうの、小坂さんがSTEPを覚えてないのよ~」
そんな美奈子さんは、レコードでもコーラスで参加されいている
「機関車」「ほうろう」「しらけちまうぜ」という三曲に参加!!
息ぴったり!に声を重ねる、その技ありの歌に、
そして「あくまで主役は小坂さん」という、歌での立て方、その在り方にも、
吉田美奈子さんの魅力を感じます。
美奈子さんにライブ後にそんなお話をしたら
「忠さんの口元みて歌えば」息ピッタリになるのだと、ニコニコしながら話してくれました。
いやはや、ライブで聴けて幸せです。お二人のステージ、また拝見したいです。
バンドのグルーブと二人のボーカルが合わさって
楽曲にさらなる奥行きがうまれて、ため息が出た三曲。
「歌」の力の素晴らしさを堪能しました。
いつだったか、小坂さんが私の番組にいらしたときに、この曲を「素晴らしい曲なんだ」と
笑顔で紹介された「つるべ糸」は、
勿論、この曲を作った矢野顕子さんと。
ピアノに座る矢野さんに「(この曲)歌ってないでしょ?」とつっこまれ、
矢野さんご自身は最近歌われたそうで、歌ってみて、
「良い曲だな~~~!さすがだな~!と思って!!」
と小坂さんも、会場も笑わせてくれました。
小坂さんも「誰が書いたんだよ!」と突っ込んでました。
そうして演奏がはじまる。。というときに、矢野さん。
「『ボンボヤージ波止場』も『さよならベイビー』今までの曲全部弾ける♪」
<全部 演奏したかった!>
と聴こえる一言を放ったあとの「つるべ糸」のピアノの素晴らしいこと!!
実は、たまたまお隣に座っていらした さかいゆうくんとも、
すごいね。。と感動を確かめ合いました。
どうすごいのか。。はたしてあれは、ピアノなのだろうか、、、
歌のようにも聴こえる。。小坂さんの歌とのデュエットでもあり、ピアノの音の美しさも格別で。。
もう一度聴きたいです。 |
|
|
|
2016-09-05
「小坂忠さん50周年ライブ」
|
|
|
一部の最後に登場したのは
「この人がいなかったら、今の僕はいなかった」と紹介された細野晴臣さん。
出演にお名前がなかったこともあり、会場からは一際大きな感動の声と拍手!
小坂さんは細野さんのことを「おみちゃん」と呼んでいるそうです。
「本当ははっぴいえんどに書いた曲なのに、忠にあげちゃって…
みんなに怒られたんだ」と
エピソードを披露した「ありがとう」をギター二本で共演。
レコーディングとおなじく、二人で歌って聴かせてくれました。
レコーディングでは、大瀧詠一さんをのぞくはっぴいえんどのメンバーが揃っているこの曲。
はっぴいえんどのボーカルは、大瀧詠一ではなく、、小坂忠が候補だったけれど、
当時、小坂さんがミュージカル「Hair」のオーディションを受けてしまい、
バンドを組むことはできなくなってしまった。。
という話しは有名ですが、
細野「忠がオーディション受けちゃって。。」と文句をいうように細野さん。
小坂「『受けちゃった』って。。あのとき、オーディションで伴奏してくれたじゃん!」
細野「うん。それもみんなに怒られた」
そんなやりとりからの「ありがとう」、お二人の長い格別な関係が織りなす、
素晴らしいデュエットで一部は締めくくられました。 |
|
|
|