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去年も訪れた岩井崎。
わずかに残った松の一本。話題になったあの松は、変わらず龍の姿。
左は第9代横綱 秀ノ山雷五郎(の銅像)と向かい合う様に残る光景は、
この後にもずっと、大きな力をくれるでしょう。
(震災直後の新聞で「津波にも <残った残った!>と報道されたそうです。) |
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山の上、高台に家を造ろうという動きがはじまり、
運転しながらもその工事の光景を目にしました。
でも、車がないと、移動も大変だろうなぁ。
そして海の近い土地でも、このように土を盛って嵩上げ工事。
でも、まだまだ、家の土台が残されたまま、
昨年と変わらぬ風景も沢山あります。 |
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未来への遺言に、震災の時のこの場所の写真が載っていました。 |
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車で一時間弱の気仙沼までのドライブ。
途中いろんな光景をこころに刻みました。
南三陸町と気仙沼市にまたがる田束山(たつがねさん)には、
イロトリドリのラインと「世界の皆さんありがとう」の言葉。
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途中、歌津の町へ。
大阪で深夜にテレビを見ていて、この本を知りました。
歌津の子供たちの作文を一冊にまとめた「未来への遺言」
町内に無料で配布したもので、希望者には1200円で販売してくださるそうです。
作文のテーマは、子供たちの心情を配慮し、「津波体験」と「未来の町づくり」を
のふたつが用意されたそうです。
自然の脅威にさらされながらも、
いや、だからこそ、
「自然を大切にしたい」と語る子供達の多い事。
子供達が経験した想い、
そして未来に向けた強い気持ちは、心にストレートに響くものがあり、
たくさんのことを学ばせてくれます。
震災前の町の写真や、震災直後の様子、
そして最後には震災時の新聞の記事も見ることができました。
「このような悲惨な想いは、子や孫たちにさせることのないよう、
防災の教訓を語り継いでもらおう」
そんな想いで、作られた一冊です。
「すばらしい歌津をつくる協議会」さんにうかがい、いただいてまいりました。
伊里前仮設テント商店街の近くに作られたプレハブの事務所に伺うと、
会長の小野寺さんが、とても大きな笑顔で迎えてくださり、
「わかりにくかったでしょ?よくわかったね」と何度も案じてくださり、
関西の方々にメッセージを伺うと
「東北の海鮮をどんどん召し上がってください。
それが復興につながる一番の道です」と仰っていました。
ありがとうございました。
『素晴らしい歌津をつくる協議会 』
(新 住 所) 〒988−0453
宮城県本吉郡南三陸町歌津字伊里前307−59
(TEL・FAX) 0226−36−2575
http://utatsu.jimdo.com/
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かもめとこんなに長い時間、向き合ったのははじめて。です。 |
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かもめが。。
置物ではありません。
綺麗に等間隔で、並んでました。朝日をバックに。。 |
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ホテル南三陸観洋で宿泊。
ここがまた、でっかいホテルで!!
お風呂もいくつかあり、この海を見ながらの露天風呂は
とても贅沢な気持ちになりました。
ちなみに、この写真は、部屋から撮りました。
海に写る月のヒカリと、雲が、龍みたい。。
このベランダで、朝起きると。。 |
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石巻の町をぶらぶらして。。
商店街はまだ閉まっているお店が多く、人の少なさを感じずには居られませんでした。
それでも、白松が最中をはじめとして、
かまぼこのお店など、老舗の力強さも感じました。
お土産に購入して、
せっかくだから、羽黒山鳥屋神社にご挨拶。
雪の残る裏の階段を上る。
長い。
車でも有縁上がれる様ですが、雪の残る階段を昇るのも、乙かな?と。
そして御朱印をいただいて、南三陸へ。 |
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ロボコン。
マンホールの蓋も、ロボコン。
帰りに、『白松が最中』を購入して、南三陸に向かいます。
白松が最中、美味しかった!!
(写真、とりわすれました。とったとおもったんだけど。。) |
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