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大きな港町。だからこそ栄えた飲食店街が広がっていたという浜町、
新浜町周辺はまだ家の土台が残っていました。
地盤沈下が激しいこの地域、まだ時間がかかりそうです。 |
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進んでいるところもあれば、まだこんな風に、山積みにされいるところも。。
大切な大切な船だったでしょうに。。。
気仙沼はとくに工事が遅い。。ということを地元のかたから聞きましたが、
二年経ってもまだどうにも進まないことも沢山のようです。 |
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多くの観光ホテルやお土産屋さんがあったこの地域。
一年ぶりにおとすれた岩井崎は、新しい家も立ち始め、
綺麗な公衆トイレも作られていました。
でも、海前の旅館はまだそのまま。
土台が残る場所もありました。
岩井崎に向かうまでの道に、気仙沼向洋高校がありました。
昨年は、あまりにも何もない広い土地に、ぽつんと残った高校の校舎がのこり、
三階のベランダに流木が乗っている姿をみて、
写真をとることを躊躇しました。
今年はその高校の前に、とても大きな瓦礫の処理&リサイクル工場が
作られていました。
ここだけでも、かなりの数の雇用を生んだそうです。
ちなみに、高校の校舎は残す形で、その前に作られたそうです。
ぐるっと一周してみましたが、
中に入るのは失礼とおもい、遠巻きからみたのでした。 |
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去年も訪れた岩井崎。
わずかに残った松の一本。話題になったあの松は、変わらず龍の姿。
左は第9代横綱 秀ノ山雷五郎(の銅像)と向かい合う様に残る光景は、
この後にもずっと、大きな力をくれるでしょう。
(震災直後の新聞で「津波にも <残った残った!>と報道されたそうです。) |
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山の上、高台に家を造ろうという動きがはじまり、
運転しながらもその工事の光景を目にしました。
でも、車がないと、移動も大変だろうなぁ。
そして海の近い土地でも、このように土を盛って嵩上げ工事。
でも、まだまだ、家の土台が残されたまま、
昨年と変わらぬ風景も沢山あります。 |
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未来への遺言に、震災の時のこの場所の写真が載っていました。 |
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車で一時間弱の気仙沼までのドライブ。
途中いろんな光景をこころに刻みました。
南三陸町と気仙沼市にまたがる田束山(たつがねさん)には、
イロトリドリのラインと「世界の皆さんありがとう」の言葉。
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途中、歌津の町へ。
大阪で深夜にテレビを見ていて、この本を知りました。
歌津の子供たちの作文を一冊にまとめた「未来への遺言」
町内に無料で配布したもので、希望者には1200円で販売してくださるそうです。
作文のテーマは、子供たちの心情を配慮し、「津波体験」と「未来の町づくり」を
のふたつが用意されたそうです。
自然の脅威にさらされながらも、
いや、だからこそ、
「自然を大切にしたい」と語る子供達の多い事。
子供達が経験した想い、
そして未来に向けた強い気持ちは、心にストレートに響くものがあり、
たくさんのことを学ばせてくれます。
震災前の町の写真や、震災直後の様子、
そして最後には震災時の新聞の記事も見ることができました。
「このような悲惨な想いは、子や孫たちにさせることのないよう、
防災の教訓を語り継いでもらおう」
そんな想いで、作られた一冊です。
「すばらしい歌津をつくる協議会」さんにうかがい、いただいてまいりました。
伊里前仮設テント商店街の近くに作られたプレハブの事務所に伺うと、
会長の小野寺さんが、とても大きな笑顔で迎えてくださり、
「わかりにくかったでしょ?よくわかったね」と何度も案じてくださり、
関西の方々にメッセージを伺うと
「東北の海鮮をどんどん召し上がってください。
それが復興につながる一番の道です」と仰っていました。
ありがとうございました。
『素晴らしい歌津をつくる協議会 』
(新 住 所) 〒988−0453
宮城県本吉郡南三陸町歌津字伊里前307−59
(TEL・FAX) 0226−36−2575
http://utatsu.jimdo.com/
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かもめとこんなに長い時間、向き合ったのははじめて。です。 |
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かもめが。。
置物ではありません。
綺麗に等間隔で、並んでました。朝日をバックに。。 |
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