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ほぼ日のサイトで知った「斉吉商店」さん。
去年番組でもご紹介した「できることをしよう」
にものっていますが、サイトでも。。是非ご覧下さい。
http://www.1101.com/tohoku_shigoto/saikichi/index.html
斉吉商店さんの看板の「吉」と「金のさんま」の秘伝のタレ。
津波に流されながらも、帰ってきた!
というお話は、何度読んでも感動の涙が出ます。
いち早く復興に向けて動き出した企業のひとつ、斉吉さんの「金のさんま」
はほんっとに美味しくて、さんまがなくなると、タレをごはんにかけてもう一杯!
と言いたくなります。
是非是非お召し上がりください。 |
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ホテルからみた漁業組合も、車と船の出入りがさかんで、
生き生きとしていました。
嬉しい光景をホテルからみつめて一休憩。 |
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とはいえ、港には船が戻っていました!
ふねでじゅんびする 漁師さんのお姿も拝見。
俄然、町が明るくなりますね。
今年はお天気に恵まれて、とてもあたたかったこともあるでしょうが、
(去年は雪が降って寒かった。。)
やはり、一年経って街の色も明るく、
力強くなっていた事を感じたのも確かです。 |
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写真でみることも多いであろうこの船も、
まだそのまま。
モニュメントとして残すのか残さないのか、意見はまとまらないようです。
ものすごく大きな船で、
ここにあるだけで、怖い思い、辛い想いが掘り起こされる方も
沢山いらっしゃるでしょう。
ここも写真を撮る事をためらう場所で、去年同様、降りる事なく、
車の中から撮りました。
そう言えば。。信号ができていたなぁ。
去年は歩道も車道もなくて、歩くのが怖かったこの道も、
ほんの少し道らしさを取り戻していました。 |
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大きな港町。だからこそ栄えた飲食店街が広がっていたという浜町、
新浜町周辺はまだ家の土台が残っていました。
地盤沈下が激しいこの地域、まだ時間がかかりそうです。 |
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進んでいるところもあれば、まだこんな風に、山積みにされいるところも。。
大切な大切な船だったでしょうに。。。
気仙沼はとくに工事が遅い。。ということを地元のかたから聞きましたが、
二年経ってもまだどうにも進まないことも沢山のようです。 |
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多くの観光ホテルやお土産屋さんがあったこの地域。
一年ぶりにおとすれた岩井崎は、新しい家も立ち始め、
綺麗な公衆トイレも作られていました。
でも、海前の旅館はまだそのまま。
土台が残る場所もありました。
岩井崎に向かうまでの道に、気仙沼向洋高校がありました。
昨年は、あまりにも何もない広い土地に、ぽつんと残った高校の校舎がのこり、
三階のベランダに流木が乗っている姿をみて、
写真をとることを躊躇しました。
今年はその高校の前に、とても大きな瓦礫の処理&リサイクル工場が
作られていました。
ここだけでも、かなりの数の雇用を生んだそうです。
ちなみに、高校の校舎は残す形で、その前に作られたそうです。
ぐるっと一周してみましたが、
中に入るのは失礼とおもい、遠巻きからみたのでした。 |
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去年も訪れた岩井崎。
わずかに残った松の一本。話題になったあの松は、変わらず龍の姿。
左は第9代横綱 秀ノ山雷五郎(の銅像)と向かい合う様に残る光景は、
この後にもずっと、大きな力をくれるでしょう。
(震災直後の新聞で「津波にも <残った残った!>と報道されたそうです。) |
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山の上、高台に家を造ろうという動きがはじまり、
運転しながらもその工事の光景を目にしました。
でも、車がないと、移動も大変だろうなぁ。
そして海の近い土地でも、このように土を盛って嵩上げ工事。
でも、まだまだ、家の土台が残されたまま、
昨年と変わらぬ風景も沢山あります。 |
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未来への遺言に、震災の時のこの場所の写真が載っていました。 |
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