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Whole Earth Station FM COCOLO [Whole Earth RADIO] / Every Friday 21:00-22:00

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Whole Earth RADIO

2022.06.01

プレイバック! チャタグリ Vol.2 “ロック・バイオに学べ!”〜 その1

5月29日にオンエアしたWhole Earth RADIOは……
《Chatter & Glitter! Vol.2 A Pathway to the R&R Attitude 〜 ロック・バイオに学べ!》

音楽評論家・今井智子さん&ちわきまゆみさんという、ロックンロール・シスターふたりが、ロックまわりのアレコレを、どうだ!そうだ!と語り倒す、不定期出現プログラム。
略して「チャタグリ」。
その第2回をお送りしました。

ともあれ、とにかく扱う話題の情報量が「1時間では到底足りないよ!」というほどに多し!
ということで、レファランスがわりに振り返りページとして、お届けします。

このエントリーを読みながら、radikoのタイムフリーでお聴きいただければ!

●「Whole Earth RADIO」 2022/05/29/日 17:00-18:00
https://radiko.jp/share/?sid=CCL&t=20220529170000


まずは今年の1月23日に放送した第1回への反響から。
第1回の中で、今井さんがリスナーの皆さんに問いかけた、「サカネ楽器」の件。
これは放送直後から、速攻でTwitterに回答が到着!
心斎橋北詰にあった「阪根楽器店」だったと判明しました。
お答えくださった皆さま、ありがとうございます!

そして、そのお話を石田長生さんから、今井さんがうかがったというインタビュー記事を、関係各位の了承のもと、ここに採録いたします!

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【石田長生氏 インタビュー 聞き手:今井智子】 2014年7月8日 於:東京・阿佐ヶ谷

ーー関西ブルース・シーンもURCと関係あったんですか?

石田長生「厳密に言ったら、関西ソウル、R&Bと言われたシーンは、URCとは関係なかったと思う。
のちのち俺たちが《春一番》に参加するようになってクロスするようになったけど、黒人音楽に影響を受けた連中というのは、別な流れだった」

ーー石田さん自身はどういう経緯で黒人音楽に傾倒を?

石田「俺は中学生の時、GSになりたかったのよ。でも高校になったらGSブームが去ってて、GSやめた先輩とかが、“これからはジャズや、ソウルやR&Bや”て、そういう空気が流れてた」

ーーそれで自然とブルースに興味を?

石田「俺はGSの後はジャズに興味あったから、大学1年しか行ってないけど、ジャズバンドでセッションしてた。
そうこうしてるうちに、『Soul To Soul』という映画——ガーナで黒人ミュージシャンが里帰りしてコンサートやる——それのウィルソン・ピケットのシーンを見て、いたく感動して、いきなり“ジャズやーめた!”って(笑)。
そのあと、2回目のB.B.キングの大阪公演見て。
その二つがきっかけ。
そのB.B.キングの前座が「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」で、初めて見て。
それを見て上田正樹なんて、自分も歌いたいから客席掻き分けてステージに上がろうとして(笑)」


ーー上田正樹さんとの出会いは?

石田「俺がジャズ習ってたジャズ教室で知り合った。ヤマハでね。みんなお金無いからヤマハに溜まってた。
音楽流れてるし、レコード試聴できるし、楽器売り場でギターアンプに突っ込んで弾けるし(笑)。
そこで知り合って、一緒にやるようになって、ディスコとかでリズム&ブルースを演奏するようになった。
それまでキャバレーとかで俺はギター弾いてたんですよ。
そうこうするうちに亡くなった佐藤博さんと二人でハコのバンド辞めて、やりたいことやろうと。
ヴォーカル上田正樹と一緒になって、当時ライヴハウスという名で日本で最初に始めた京都の拾得とかに出るようになった。
それこそレイ・チャールズとかジョー・コッカーのコピーみたいのをやってましたね、「バッド・クラブ・バンド」っていうんですけど」

ーー京都も大阪も一括りで関西ブルース・シーンと捉えていますけど、実際はどうだったんですか?

石田「京都は学生運動のセクトの連中とヒッピーが入り交じってるような動きだから、最初は俺等は大阪のヤマハのバンドが何しに来てん? とかヤジ飛ばされてモノ投げられたりした記憶があるもんね。
でもそこで負けないのが俺等。
絶対いい演奏聴かせる。ええ意味の刺激になったよ。最後は受けてたもんな。
何年か覚えてないけど、「上田正樹とバッド・クラブ・バンド」で西部講堂に出た時に初めて見たのが、まだメンバー二人の「憂歌団」。こいつらが噂に聞いてたアコースティックブルースバンドかと。初めて対バンになったんですよ」

ーー時代的に情報やレコードの流通がまだ少ないと思いますが、どういうふうに入手してたんですか?

石田「心斎橋のメインストリートから少し外れたところに、阪根楽器という店があってね。
今はないけど、そこに俺たち、上田正樹とか行ってた。
「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」の連中、山岸(潤史)なんかとは、そこで知り合って親しくなったのかもしれんな。
亡くなった塩次伸二(G)や、(永井)ホトケ(Vo)、山岸も出入りしとったから。
京都にはそういう店がなかったから、わざわざ大阪まで来てたと思う。
ほんまにレアなブルースとかリズム&ブルースを、ツケで売ってくれる吉村さんという人がいて、そこで世間では知られていないようなブルースやリズム&ブルースを紹介されて。
みんなお金無いけどツケで買えるから、それはお世話になったと思うよ。
そこは東京に比べても早かったと思う。
吉村さんという店員さんが、みんなの知らんものをものすごい聴かせたがるのよ(笑)、これ聴いとき、これ持って帰り、って。俺は最初にドン・ニックスなんて輸入盤で買ったと思う」

ーーやがて上田さんは「サウス・トゥ・サウス」を組んで、『ぼちぼちいこか』『この熱い魂を伝えたいんや』が75年に出ます。同年、「ウエスト・ロード・ブルースバンド」も『BLUES POWER』をリリースして。

石田「あいつ等は始まってたね。「ソー・バッド・レビュー」はまだ出来る前で。
俺はサウスの出来たばっかりの音源持って、メンフィス行ってたもんね。ソー・バッド結成する前」

ーーその渡米経験もあって、初作『SOOO BAAD REVUE』('76)をL.A.で録音したんですか?

石田長生「単に向こうに行きたい(笑)。レコーディングで行ける、ラッキーって。
でも日本に帰ってくる時には「ヤングギター」誌の表紙になってると思わんかったから、すごい嫌やった。
売れたいとかいう意識は全然なかったから、プロモーションかけられてるのとかが」

ーーでもその経験は今振り返ると大きかったりします?

石田「今はあんまりレコーディングに興味ないけど、メンフィスに住んでる時にウィリー・ミッチェル(メンフィスにあるハイ・レコードのプロデューサー)にすごい可愛いがってもろうて、彼のレコーディングとかフリーパスで見学させてもらってたから。
ソーバッドのレコーディングの時は、最初の1ヶ月はLAのアサイラム(スタジオ)でソーバッドやって、2ヶ月目はハリウッドのスタジオで西岡恭蔵の『南米旅行』でギター弾いて。
3ヶ月後に加川良を連れてメンフィス行って、『南行きハイウェイ』のプロデュースやって、メンフィス・ホーンズ入れたりとか。俺はレコーディング得意やなと思ってた」

ーー「ソー・バッド・レビュー」は、ある意味アヴァンギャルドというか個性的でしたね。当時のバンドはそれぞれ個性的でしたけど。

石田「今度再結成やんねんけど、当時のL.A.で録音したヤツじゃなくて、それ以外のライヴでやってた音源とか聴くと、今で言うジャム・バンド的な要素があったソウル系やったと思う。
かたや「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」は、ものすごいタイトに、よく練習して、バンドっぽいまとまりのあるバンドやった。
そん中で”もっとか!”てキー坊(上田正樹)の煽りが入って。あと、「ウエスト・ロード・ブルース・バンド」は京都で、ある意味「サウス・トゥ・サウス」と一緒でタイトな、まとまった演奏する中で、山岸一人ハレーション起こしてるという。
ウエストロードは、ええ意味でのどさくさ感のあるシカゴ・ブルース。ダーティというのかな。
テクニックじゃなくて、シカゴ・ブルースのダーティな味わいが物凄いあったと思うね。
まあ(近藤)房之介が入って、オーティス・ラッシュとかの色も入って、ブレイクダウンになって変わって行く。
ブルースハウス・ブルースバンドというのは、ほんまに黒人のファンキーさ、匂いを感じたね」

ーー「春一番」の人たちというか、関西フォーク系との接点はどこから?

石田「金森幸介というシンガーがいて、彼と知りあって家に遊びにいったりして、春一番に出る金森幸介のバックを「上田正樹とバッド・クラブ・バンド」がやってくれないかというのがあって、それやってから。
今度は個人的に喫茶ディランとかに通うようになった。
それで西岡恭蔵さんとか大塚まさじと知り合って、大塚まさじと「オリジナル・ザ・ディラン」というバンドに参加したり。
友部正人が泊まるところがないから、上田正樹の事務所で上田とひとつのベッドで泊まってた(笑)。
友部は最初に聴いた時驚いた。コイツはフォークのほんまもんやなと。歌がそんなにじょうずじゃなくても、日本語で聴いたことないような表現する人がおもしろかった」


ーーいろいろ入り交じってくる時期だったんですね。

石田「当時の大阪は、ちゃんこ鍋みたいな(笑)。フォークの人は、俺等が持ってるグルーヴというかそういうものに感じ始めてた。あと演奏における即興性とかね」


ーー振り返ってみると、すごく大きかったイメージがあるけど数年だし、関わっていた人も凝縮されていた。でも今も関西はブルース、リズム&ブルースというイメージは定着している気がします。

石田「そうかもしれんね。有色人種の音楽に反応したヤツというのは今も生き残ってるのが多いな。
「ウエスト・ロード」、「サウス・トゥ・サウス」、「憂歌団」、「ソー・バッド・レビュー」。今でも続けてるヤツが殆どや」

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そして、石田長生さん、山岸潤史さんらが'75年に結成して、わずか1年で解散した、“地上最大のソウル・バンド”「Sooo Baad Revue」の最新情報も飛びこんでまいりました!

なんと、ソーバッドの未発表ライブ音源が、6/22に公式リリースされることに!
『ジ・アザーサイド・オブ・ソー・バッド・レビュー』
'76年1月の、東京・高円寺「次郎吉」でのライブ音源。

上記のインタビューの中で石っしゃんも「当時のL.A.で録音したヤツじゃなくて、それ以外のライヴでやってた音源とか聴くと、今で言うジャム・バンド的な要素があったソウル系」と語っていましたが、そのニュアンスを嗅ぎ取ることができそうです! 必聴!

http://bridge-inc.net/?pid=167917871

Whole Earth RADIO

2022.05.22

「文枝・きよしの吉本見聞録」

文枝師匠・きよし師匠のお話いかがだったでしょうか?
DJ加美幸伸も興奮の夢の対談。
お二人で1時間以上お話してくださいました。

聞き逃した方、もう一度聞きたい方はこちらから
https://radiko.jp/#!/ts/CCL/20220522170000

笑って元気に!いらっしゃーい!!ツアー 
桂文枝の落語家55周年記念独演会
https://ngk.yoshimoto.co.jp/2022/07/110-55.html

「西川きよしのコツコツ全国ツアー」
https://nishikawa-kiyoshi-tour.yoshimoto.co.jp/

西川きよし #吉本興業
#吉本興業110周年感謝祭 #加美幸伸




Whole Earth RADIO

2022.05.22

「文枝・きよしの吉本見聞録」

Whole Earth RADIO
「文枝・きよしの吉本見聞録」
創業110周年、大阪から世界に羽ばたく吉本興業に
スポットを当てる1時間。
COCOLOならではの師匠のお話、ご期待ください。
DJは加美幸伸。午後5時スタート。

西川きよしのコツコツ全国ツアー
#吉本興業110周年感謝祭